ある夜のことである。ダニエルは酔っていた。ひどく酔っていた。なにかこう、現実との境目がビチャッと溶けるくらいには酔っていた。そして――
ブラジャーを頭にかぶった。
そういうことだ。
世の中にはいろんなやつがいる。ブラを買うやつ、売るやつ、つけるやつ、見せるやつ、そして──かぶるやつである。
ダニエルは、その日、かぶるやつだった。
説明はない。あっても意味がない。それが酔っぱらいの仕業である限り、道理など通らないのだから。そして見事にバカだった。バカと夜と酔っぱらい。この三つが揃えば、だいたい何が起きても不思議ではない。

「ニャア🐱」
と言った。猫のつもりである。しかもそのブラの左右のカップを、両手で立てて、耳に見立てていた。立て耳。つまりは、猫耳モードである。その瞬間、時空が歪んだ。

「あなた、なにしてるの?」
流氷をぶっかけるような声が背中から刺さる。振り向くと…いた。カネア様。彼の女王様であり、お姫様であり、破壊神でもあり、そして時々すごく優しいが、今はそのどれでもない。
ダニエルは反射的に正座した。猫耳のまま、完全にしつけを失敗した大型犬のような顔をして。その絵面がどうなっていたかは、誰にも分からない。地獄絵図だったのかもしれないし、あるいはとてもファンシーなものだったのかもしれない。だが当の本人にとっては、それはたしかに地獄だった。

ダニエルはとっさに愛想で切り抜けようとした。
「いやその、ちょっと可愛いかなと」
「は?」
カネアの“は?”は強い。“刃”である。“破”であり、そして“波”であり、“覇”である。男の言い訳など、一刀両断である。

「でも、あなた……」カネアは言った。
「似合ってますわ」
予想外にそう言ってニコっと笑った。えっ、とダニエルは固まった。
猫耳ダニエル
まさか、褒められた。酔いが少し冷め、ダニエル、そのわずか一秒で世界を救える気概を得、「おれって、いけてるかも?」とか、多分思い始めてた。

当然続きがある。
「……でもね、」声が変わっていた。いや、変わってない。ただ、静かだっただけだ。静かすぎて、怖かった。
「そのブラ、今日買ったばかりの新品なの」
カネアから笑みがぴたりと消える。シン……… 空気が凍る。急転直下フリーフォールのてっぺんにいる気配。
「二度と……」
「酔っぱらいの頭に……」
「乗せるんじゃありませんわよ‼️‼️‼️‼️」

雷鳴。地割れ。ブラは落ち、猫は逃げた。ダニエルはただの男に戻った。
──翌朝。彼は目覚めた。まだかろうじて生きていた。何事もなかったように起き上がり、何事もなかったように、味噌汁の出汁までとって、いつもより丁寧に朝食を作った。