ぽちゃん、と蛇口から落ちた雫の音だけが、やけに大きく響く。湯気に煙るこの狭い空間では、どんな些細な音も意味を持ってしまうかのようだった。
湯船の中で、カネア様が、ふぅ、と長い息を吐くと、水面がわずかに震えた。彼女はわたしを背もたれにしながら、天井の、おそらくはカビの初期段階であろう黒い点を、何か星でも見つけたかのように見つめている。
「……宝くじ、当たりませんかしらね」
声が、タイル張りの壁に反響して、少しだけ湿って聞こえた。
わたしは、頭にのせたタオルの重みを感じながら、わずかに彼女の方へ顔を向けた。
「また急に」
「だって、当たったら……」
彼女は、指でお湯の表面に円を描きながら続けた。
「南の島で、専用の温泉付き別荘を建てられますもの」
その言葉に、わたしは昔会社が所持していたヴィラの、インフィニティプールから眺めた夕日のことを思い出す。彼女の指が描く円は、あの頃の幻影だろうか。
「はいはい」と適当に返事をすると、彼女はさらに真剣な顔で水面をなぞる。
「それに、あたくしたちの船を改造して、ジャグジーを十個くらい並べて……」
「そんなに入りますかね」
わたしは、クイーンマリーゴールド号にあった三つのジャグジーのことを思い出した。塩素の匂いと、絶えないメンテナンスの記憶。今浸かっているこのお湯の方が、よほど心安らぐ。
「あと、お風呂に入りながら食べられるケーキバイキングも設置して……」
「絶対クリーム溶けますよ」
わたしはふやけた指先を見て、そこに生クリームが貼りつく幻覚を覚えた。悪夢のパティスリーだ。
彼女が夢見るのは、ただの大金ではない。失ってしまった「あの頃」の日常なのだ。そう思うと、無下にすることもできなかった。
わたしは、ざぶんと肩までお湯に沈み直した。ぬるい。やけに現実的な温度だ。
「……まあ、当たったらの話ですね」
わたしがそう言った、そのときだった。
カネア様が、す、と振り返り、体を寄せてきた。湯船の水が、ざざ、と音を立ててあふれる。
彼女の指が、そっとわたしの肩に触れた。濡れているくせに妙に熱かった。
「……ちゃんと買ってますわよね?」
「えっ……あ、はい……」
心臓が、喉までせり上がってくるのが分かった。
肩に置かれた彼女の指の熱さと、三ヶ月前にどうせ当たるまいと、とっくに買うのをやめてしまった宝くじの冷たい事実。
その二つだけが、湯気の中ではっきりと存在していた。
湯気は曖昧なのに、事実はなぜこうも輪郭を崩さないのだろう。