映画館のロビーはポップコーンと曖昧なバター臭でむせ返っていた。チュロスの列にいるダニエルは、自分の前で跳ねるレジの数字をただ眺めているだけだった。見ていて特に楽しくもないが、他に見るものもない。
味はプレーンで、でも砂糖特盛で。それが彼女の希望。
その為に並ぶ。
並ぶ。
並ぶ。

そして列が動き始めたその瞬間、横から声がかかる。

「あたくし、中に入って待ってますわね〜」

振り返ると、カネアはチケットをニ枚ひらひらさせながら、天女のように入場ゲートへ向かっていた。二枚目は確かにダニエルの分だった。

ロビーに取り残されたダニエルは、黙って列に戻った。
前にいた親子が「おとうさん、チュロスたのしみだね〜」と無邪気に言っていた。 今彼の使命は「他人の幸福の最後尾に並ぶ」ことである。

そして──ようやく手に入れたチュロスを抱え、入場口へ。

「チケット拝見しまーす」

詰んだ。

「えっと……その、連れが……持ってまして……」

声が紙切れみたいに薄くなっていくのが自分でもわかる。
「……女性で……その、すごい……お嬢様で……」

胸に抱いたチュロスを死守しながら説明をすればするほど不審者指数が上がる。係員は無言で別のスタッフを呼びに行った。

館内ではカネアが既に布陣を完了していた。中央、通路側、背高ゼロ保証……完璧。隣の席はバッグで確保。
予告編が始まり、館内が薄暗くなると、彼女は足を組み替え、チュロスを思い出す。

(……遅いですわね)

ダニエルがやっとのことで滑り込んできた。

「す、すみません!これ……チュロス……」

「遅かったじゃないの」

カネアは花束でも受け取るかのようにそれを受領し、ぱくりと一口。 

「……まあまあ、ですわね。あなたの分は、あとで――」

“あとで”ほど頼りない言葉はないが、上映開始の合図とともに私語は闇に吸い取られた。――砂糖の粒がどこまで減り、うち何センチが分配されるのか確かめる間もなく、その顛末はスクリーンの明滅に飲まれ、観客席の影絵へ溶けていった。

エンドロール後、再びポップコーン臭のロビー。副社長の掌にチュロスが返却されたか、その記憶さえ曖昧だ。ただ歯に残るザラメだけが現世の証拠品。

映画
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