GO!銭湯

地球の下町、その名も「銀河のゆ」。
口コミでは“レトロとモダンの融合”とうたわれ、☆4.6の輝きを放っていた。 「いいお湯らしいですわよ。楽しみね♡最近すぐ汗かくでしょ?代謝悪いのかしら?」
言いながら上機嫌でタオルを畳み、髪を結い、鼻歌まじりに、まるで“湯上がり”の幸福をすでに先取りしているカネアとは裏腹にダニエルの顔は曇る一方だった。

「なによその顔」 「いやいや……あの……銭湯って、つまり……わたしは男湯、ですよね……?」 「あたりまえでしょ?なにか問題でも?」 「あのぉ……あの独特の……”男汁”のにおいとか…体育会系の知らないおじさんがずっと喉鳴らしてたりとか………正直、無理なんですが」 「ぷっ……なにそれ……♡あなた、男のくせに男湯こわいんですの⁉️」 「無理です‼️‼️」



だが拒否権など、ここにはない。
のれんの手前。番台のおばあちゃんが、ゆっくりと二人を見上げた。 「はいはい、お兄ちゃんは男湯、お嬢ちゃんは女湯ね〜」 その言葉に、カネアはぴくりと眉を上げたが、次の瞬間には機嫌良く受け入れた。 「“お嬢ちゃん”て……まあ、許しますわ」 軽く髪を払うようにしてそう言った。

そして隣を見る。そこには、何とも言えぬ顔をしたダニエルが立ち尽くしていた。
“お兄ちゃん”として振り分けられた以上、男湯に行く他なかった。

ダニエルは男湯ののれんの前で深呼吸した。
“これは湯である。湯。汁ではない。断じて男汁ではない。そう信じれば、そうなる”

そう思って、くぐった。見送りの拍手が欲しいくらいだ。

──結果。

「う゛ッッッッッ‼️‼️‼️‼️」

最初に襲いくるのは、鼻腔に焼きつく、あの“空気”。それは“匂い”ではなかった。“概念”だった。石鹸と汗と体臭、あと何か。言葉にできない“おっさん圧”。
ダニエルの魂は一瞬で半透明になった。

脱衣所、湯船、どこを見ても男、男、男の背中。シャンプーを省略して直湯な猛者、タオルを湯船に浸すもの、極めつけは股間をドライヤーで乾かすおじいさん。
“我が家”を履き違えた戦士たちが、湯気の彼方で孤軍奮闘していた。

(男湯……それは想像以上に“男汁”の坩堝だった……)

心象風景
イメージ映像

恐る恐る視線を動かすと、隣の男が妙にこちらをうかがっている気がした(気のせい)。
逃げるようにカランに移動し、ダニエルは己のタオルをギュッと防御的に巻き直した。スポンジを泡立てながら心の中でつぶやいた。

(こっちは、股間を乾かすおじいさんがいる……壁一枚の向こうで、カネア様は……)



女湯という天国で、泡にまみれ、笑い、誰かに背中でも流されてるのだろう。
たぶん──知らん女に「肌、きれいですね〜」とか言われて「まあオホホ」なんて返してる。
トリートメントの試供品もらったり、ラベンダーの香りの中で掛かり湯とかしてる。



妄想が膨らむにつれ、男湯の現実はますます地獄めいてくる。背後で「よいしょォーッ!」と絶叫する老人の声。振り向けば、ストレッチの一環で毛細血管を全開にする長老。死角がない。ここは仁義なきオヤジワールドであった。

(もう一緒に入ればよくない?なあMAM⁉️)

(のぼせたフリしてカネア様とこ行こかな……)

(……いや逮捕されるな、冷静になれ、ダニエル)

そう自分をなだめながらも、湯船には近づけない。洗い場は市場のようにごった返し、桶は転がり、シャワーは無警告に撃ち出される。
隣の男の脇毛の動きがスローモーションで見え、背中一面の刺青には「俺の過去を読むな」とでも書いてありそうだった。
視線は泳ぎ、呼吸は浅くなり、タオルはどんどん頼りなくなった。



出よう。

すぐに出よう。
もういい。温まりました。



脱衣所で服を着たときには、彼の魂はほとんど気体になっていた。軽く、希薄で、どこかに飛んでいきそうだった。



————

のれんを抜けると、そこはパラダイスだった。救済があった。この世のすべての湯が自分のために湧いているとでも言いたげな堂々たる湯上がり姿でカネアがいた。
髪はくるりとタオルで巻かれ、肌は乳液の光を放ち、天使とは比喩とか概念ではなく、銭湯上がりの彼女の肌ツヤのことだった。 「どうだった?男湯って」 とカネアは言った。涼しい顔だった。なにも知らぬ者の顔だった。 「……あのですね、ええと、二度とひとりにしないでください」 「ふふっ」 彼の魂はようやく肉体に戻った。 “スチャ”という牛乳瓶のキャップ音と共に。

「男湯って、どうして魂の洗濯にならないのかしら」
「洗う面積が多すぎるんだと思います」
我ながら名言だ、とダニエルは思ったが誰もメモしていない。

カネアが「次は岩盤浴にしましょう。ラベンダーの香りのアロマサウナとか、いいですわよね」と囁く。──その声が、妙に近く、妙にやさしかったので、ダニエルはこう思った。

(もうどこでも行きます。岩盤でも、真空でも。ご一緒なら)

そう思っても口には出さず、牛乳瓶の蓋を丁寧にしめた。

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