スマホ検閲

夜半二時は一種の魔刻である。男はぐっすり眠りこけ、女はふと目覚める。ふたり同衾していても、そのあいだに潜む暇つぶしは別々と見える。

ダニエルは寝ていた。これ以上は無理というくらい、安らかで、何の屈託もない。
彼のスマホはベッドサイドに置かれている。それはまるで「さあ、どうぞ」と言わんばかりに無防備に、やたらと意味深に晒されているのだった。
カネアがそれを見ない訳はなかった。
彼女は横目でダニエルの寝顔を確かめる。鼻腔の開閉、わずかな眉間の皺──観察は周到で、「これはREM睡眠に違いない」と判断する。正直そこまで観察力があるならSATに入れる。

「当然の権利ですわよね」と、口では言ってないが、顔はそう言っていた。
そして布団から音もなく抜け出し、夜の泥棒猫のようにダニエルのスマホを手にする。 暗闇で光る液晶。それはまるで、怪談師が顔の下から当てる懐中電灯のようだった。

ロック解除。指紋認証。当然通る。
なぜなら彼女は「私のものは私のもの、あなたのものも私のもの」ジャイアニズムの実行者であり、愛の独裁政権者であった。「私物も社有も一蓮托生」という経営理念がここに発効した次第。
スマホも「どうぞどうぞ」とばかりに開く。 ──これはもう、恋である。スマホが恋している。

未読メール──水道料金、ローン残高、MAMからの自動リマインド。未読のメール……「ふむふむ」。
次は写真フォルダ。何らかのメモ、昼飯、空の写真。一枚だけ孤立無縁で“なぜかマヨネーズだけ写ってる写真”に、(何かの暗号かしら)と首をひねる。

 

だが、気になる“女性の名前”は見当たらない。検索履歴も「炊飯器 保温 限界」とか、平和で貧相なワードばかり。
もはや人妻である。(いや、主夫だ)

ホーム画面には何の変哲もないアプリたちが並んでいる。ここに「FANZA」とか「ハッピーメール」でもあれば、一撃でアウトである。死刑執行である。 地獄の業火で焼き払われる。

しかし今日も、「計算機」「辞書」「メモ」など、人畜無害すぎるラインナップ。公務員の机と変わらない。
──こやつ、本当に男か?

さらに、カレンダー、メモ、ToDoリストもチェック。どこにもやましい気配はない。健気で健全な予定の数々。



──一方その頃。
寝ていると思われていたダニエルは、実は起きていた。というか、寝たフリである。

枕元からカネアの「ふむふむ」や「……マヨネーズ」といった独り言が、小さく耳に届いてくる。


(はい来た……毎晩恒例のスマホ捜査タイム……)

バレてないフリで寝続けるのも、なかなか技術が要る。少しでも呼吸が荒くなれば「起きてる?」と突っ込まれ、目が動けば「夢見てる?」と覗き込まれる。
ダニエルは絶妙な浅い呼吸と、半開きの口元で熟睡アピールをキープしていた。

カネアはといえば、ついにメモ帳アプリへ。
“今日の夕飯:豆腐ステーキ”
“カネア様に花を買う”

(…………)

「これは……予測変換の中に秘密が?」
カネアは、スマホを薄目で睨みつつ、入力画面を開く。

“か”と打つと……
「カネア様」「カネア様かわいい」「カネア様おはよう」「カネア様とデートしたい」
“す”で「好き」「好き好き」「好きすぎる」(しつこい)
すごい。もはや信仰告白である。
彼女は照れくさいのか、真顔のままスマホを伏せる。

(こいつは、ほんとうに、ほんとうに──あたくしのことしか考えてないのね)

やましいものは見当たらない。

(徹底している。用意周到。だが、その努力を他に使えば……と思わずにいられない)

ここでカネア、スマホを閉じる。
(なによこれ……全然面白くない……)

つまらない。つまらないのだ。浮気も裏切りも、なければないで物足りない。 でも、あったら殺す。矛盾の果てにいる。 このジレンマこそ愛の本質と言わんばかりに。

彼女はそっとスマホを戻し、ダニエルの肩を小突く。

「……ねぇ、寝てる?」

ダニエル、すかさず寝返りで反応。
(よし、完璧な寝息)

「……ふーん……」

不満そうにそう呟きながら胸もとに顔を埋め、いつしか本当に眠りに落ちた。
彼女が本当に寝入ったのを確認してから、ダニエルも目を閉じる。

──安心して見てくれ。そのスマホには、あなたのことしか入っていない。

スマホ検閲
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