寝落ちカネア様

夜だった。もう完全に夜だった。
たとえばテレビは勝手に沈黙を決めこみ、エアコンはいつの間にか強モードに変貌し、隣のカネア様は──派手に寝ていた。

いや、正確に言えば、寝落ちていた。それも、ものの見事に“顔面にスマホ直撃”という形式美をもって。

ん?
スマホ?
俺の。俺のじゃん、それ。
おもむろに覗き込む。なにかのページが表示されたまま、スリープにも入らず、白くぼんやり光っていた。文字は……いや、これは、文字というか……絵?

いや、エロ漫画だった。

ふつうの、なんていうかこう、よくあるやつ。男がめっちゃ都合よく強引で、女が「そんな……ダメ……あっ♡」ってなる、あのジャンル。

しかも、サインインしてるアカウントが──俺の。
完全に俺のIDだった。

彼女は、おそらく──いや十中八九──わたしのスマホのパスコードを解除し、ログイン済みのアカウントで、エロ漫画を読み漁ったのだ。むさぼるように。まるで野良猫が干物を漁るみたいに。

そのうえで、満腹になって眠った。あるいは、画面のまぶしさに眼精疲労が限界に達し、端末が熱を帯び始めたところで、電池の残量と一緒に気力も尽きて、そのままポテッと寝落ちた。そういうストーリー。そうとしか考えられない。

だとしたら……終わりだ

サジェストに「最近読んだ作品」って並んでる。それ全部、読んでない。俺は読んでない。読んでないが……履歴は正直だ。

「お気に入り」にハートがついていた。一瞬、動悸がしたが、それはたぶんカフェインのせいだと思いたかった。そこに並ぶタイトルたちは、彼女好みのどこかセンチメンタルなタッチを感じるラインナップだった。(?)わたしの性癖にはない。

にもかかわらず、おすすめ欄は「あなたへの特別な提案」でいっぱいだ。いや、誰への提案だ。あの子の指先がクリックした“YES”の責任を俺が負うのかよ。

そっと視線を戻す。

「うふふ……そこ……もっと……」
寝言。寝ながらうふふ言ってる。完全に夢の中で続き読んでる。夢の中で……わたしのIDで……!!

「……せめて自分のアカウントで読んでくれよ……」
という言葉が喉まで来たが、出なかった。わたしはそっと端末を取り上げ、読んでいた作品を確認した。
「義兄が帰宅してから10分以内に毎回襲ってくる件について」
──うん。なんだこれは。

しかも、☆5レビューがついている。しかもそれを書いたのは俺だ。いや、書いたのは“俺”じゃない。堂々たる本名の表示。

★★★★★(⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️)
レビュアー:daniel_cosmo
まず、義兄が帰宅してから“10分以内”という制限時間──このルール設定がすばらしい。速すぎて笑ってしまいましたわ。でも毎回、見事に制限時間内に“発動”されておりまして、まるでRTA(リアルタイムアタック)のようなスリルがございました。
(中略)
女の子の「えっ、また⁉️」の顔がどんどん学習していくさまも見ものでした。最初は驚きの顔。次は戸惑い。そして、途中からは「……来る。もうすぐ来る……」という覚悟の顔。
──そして義兄のセリフ、「風呂もメシもいらねぇ。お前だけでいい」
毎回言う。風呂、ほんとに入らない。すごい。
あと、ページごとに部屋の間取りが少しずつわかってくるのも個人的にツボでしたのよ。ああ、玄関からリビングまで7歩……そこから押し倒しポイントまで3歩……完璧な動線設計ですわね。まるで名建築家が描いた建築設計図のよう。

わたしは、頭を抱えた。違う。違うんだ。わたしじゃない。わたしのIDだけど、操作したのは彼女で──

だけど200人が「参考になった」と親指を立てている。明日からぼくは副社長兼エロ評論家。母さんにどう説明しよう。

カネア様の寝顔を見た。なんというかもう、完全に「寝てあげてる」顔だった。ほんのりと口が開いていて、かわいい。それはもう、世界一ピースフルな顔面の不法侵入者だった。

しかも、課金していたんだ。わたしのIDで。しれっと、何食わぬ顔でポチっていた。証拠に、「続巻購入」の履歴が、きっちり残っていた。人は人の端末でエロ漫画に金を払い、レビューを書き、義兄が帰宅してから10分以内に毎回襲ってくるという、リアルタイムアタック形式の性欲展開に、星5つをつけることができるのだ。

こういう時は、どうすればいいんだ?
次の瞬間、わたしは冷蔵庫を開けて、炭酸水を飲んだ。ウイスキーを入れずに。たぶん、今日いちばんの偉業だった。

寝落ちカネア様
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